津軽錦

津軽錦
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津軽錦、ツガルニシキ、桜津軽錦

 江戸時代の頃から青森県で飼育されてきた地金魚であるが、第二次世界大戦で絶滅してまったと言われております。肉瘤は秋錦ほど発達しませんが、形態としてかなり似ています。褪色は大変遅く、三歳・四歳の成魚になっても鉄色(フナ色)の個体も少なくありません。

 鉄色が魅力的な津軽錦。欠点の要素として褪色が遅いと言うのがよくあげられますが、津軽錦の場合はこの鉄色の時期を楽しむと言った方が正解かもしれません。もちろん、勝手に僕がそう思ってるだけなのですが、完成までを楽しむのが面白いっていうのありますよね。そう考えると津軽錦は長く遊べます。一番下の画像は桜津軽錦と言った方良いかも。観賞魚フェアでは津軽錦と表記されておりました。東錦の血が入ってますから当然、出ます。
 初めて津軽錦を知ったのは2002年に発行された金魚伝承第三号かな。この中で絶滅してしまった津軽錦の復元に尽力された三輪薫氏について記載されているのですが、大変興味深かったです。特に自分が新品種作出とかに興味あったからかもだけど。実際、三輪氏が津軽錦に懸けた年月は50年に及ぶのですが、その中で津軽錦の固定には15年(累代繁殖15代)かかったそうです。開始当初は5年で固定できると考えていたとか。佐藤光雄教授の論文で青森県生物学会誌に載せられ、翌年の昭和61年から浅虫水族館で津軽錦が維持管理されるようになりました。三輪氏が所持している津軽錦を全て寄贈されたそうなのですが、「やっと厄介な金魚から足を洗うことができて、その日の青空のように晴れ晴れしい気持だった」と感想を述べております。本業の役人の仕事に支障をきたさない努力が大変だったそうで、人並みの生活に戻れるのが嬉しかったそうです。復元と言ってもやってることは、新品種を作ることと同じだと思うんですけど、何が大変かって継続なんじゃないかなぁ。絶やすことを許されないプレッシャーもあったでしょうし。断続的に続けることが可能な趣味の金魚とは気持の面で違うんですよね。

□ 金魚サーチ